チャンドラ・ボース
インドの人の言葉を記します。
インド独立の英雄スバス・チャンドラ・ボース氏の言葉
「日本の陸軍こそがイギリスの植民地支配から解放してくれた恩人」
インド人では無いが、イギリスの歴史家であるエリックーホプスバウ・ロンドン大学教授の著書の中の一節
「インドの独立はガンジー、ネルーが率いた国民会議による独立運動ではなく、日本軍とチャンドラ・ボース率いるインド国民軍(INA)が協同してインドへ進攻したインパール作戦によってもたらされた」と書いている。
さらに、アーノルド・トインビー(英国歴史学者)は、
「第二次大戦において、日本人は日本のためというよりも、むしろ戦争によって利益を得た国々のために、偉大な歴史を残したといわねばならない。その国々とは、日本の掲げた短命な理想であった大東亜共栄圏に含まれていた国々である。
日本人が歴史上に残した意義は、西洋人以外の人類の面前において、アジアとアフリカを支配してきた西洋人が、過去二百年の間に考えられていたような、不敗の汎神でないことを明らかにしたことである。」と英紙に記している。
パール判事の御言葉。
東京裁判において、
判事中唯一の国際法学者だった彼は、国際法に拠らず、事後法によって行われた裁判を、戦勝国による「リンチと何ら変わらない復讐」であり、違法裁判であると非難している。
「私が日本に同情ある判決を行ったと考えられるならば、それはとんでもない誤解である。私は日本の同情者として判決したのでもなく、西欧を憎んで判決したのでもない。真実を真実として認め、これに対する私の信ずる正しき法を適用したにすぎない。それ以上のものでも、また、それ以下のものでもない」
日本に感謝される理由はどこにもない。真理に忠実であった、法の尊厳を守った、という理由で感謝されるならば、それは喜んでお受けしたい。
「この裁判の目的が正義の実現にあるのではなく、復讐心の満足と勝利者の権力の誇示にある」「原爆投下は最大の戦争犯罪である」
19歳の時には、こう言っている。
「同じ有色人種である日本が、北方の強大なる白人帝国主義ロシアと戦って遂に勝利を得たという報道は、われわれの心をゆさぶった。私たちは、白人の目の前をわざと胸を張って歩いた。先生や同僚と共に、毎日のように旗行列や提灯行列に参加したことを記憶している。私は日本に対する憧憬と、祖国に対する自信を同時に獲得し、わななくような思いに胸がいっぱいであった。私はインドの独立について思いをいたすようになった」
なおパール博士は、後に国連の国際法委員会の委員長として活躍され、日本にもたびたび来日されて、日本国民が東京裁判史観にまどわされて、自虐・卑屈にならぬよう日本全国を遊説された。博士はインドにおいては最高勳章を、日本からは勲一等瑞宝章を授けられている。
この内容は、「パール判事の日本無罪論」という本の中で記されている。
また、平成九年十一月、インド独立五十周年を記念して、パール博士の京都に骨を埋めたいというご遺志に沿い、京都・東山の霊山護国神社境内に博士の顕彰碑が建立された。この場所は明治維新の志士たちの眠る聖地であり、大東亜戦争の英霊鎮まる聖域である。
どうです、グッとくるでしょ!
さて、平成九年(1997年)八月にインド独立五十周年の式典が行われましたが、そこでも数々の言葉が心に響きます。
ラビ、レイ元下院議長の挨拶
「このよき日を祝うに当たって、1905年を忘れることはできない。日本が日露戦争に勝ったことによって、インド国民が勇気づけられて独立運動に立ち上がったからである」
独立運動の闘士として知られ、インド法曹界の重鎮でもあるレイキ博士の御言葉。
「太陽が空を輝かし、月光が天地を潤(うるお)し、満天に星がまたたく限り、インド国民は日本の恩義を忘れない」、と日本への感謝の意を表しています。
戦時中、インパール作戦を戦ったインド国民軍の戦友会(I N A 委員会)も日本に感謝を示すために、同じ年に靖国神社に感謝状を奉納している。
インドが日本のお陰を蒙っていることは、言語に尽くせない大きなものがあります。偉大な貴国はインドを解放するにあたって、可能な限りの軍事援助を提供しました。何十万人にものぼる日本軍将兵が、インド国民軍の戦友として共に血と汗と涙を流してくれました。
インド国民軍は日本帝国陸軍がインドの大義のために払った崇高な犠牲を、永久に忘れません。インドの独立は日本陸軍によってもたらされました。ここに日印両国のきずながいっそう強められることを祈念します。
S.S.ヤダフ、インド国民軍全国委員会事務局長、インド国民軍大尉
ああ、つい熱くなり遅くなちゃった。
もう寝ます・・・
ご要望にお答えし、今日は、まずインドという国を知る上で過去の事についていくつか書きたいと思います。
インドという国については、あまりなじみが少ない人が多いのではないでしょうか?
少しお話しすると、インドはすごく親日の国です。
インドで好きな国ランキングで日本は堂々一位なのだ
インドに行くとよく分かるが、日本人に対して非常に親切にしてくれる。
日本人と知ると家に招待され食事もご馳走になったりする。
日本語を勉強している人も実に多い。
インドの人と話してみると、実に日本びいきである。
日露戦争では、アジアの星と崇め、戦時中の日本のアジアでの功績をたたえてくれている。
また、戦後の日本の鮮やかな復活についても、まさにインド人もびっくりっていう感じで、日本を手本にしたいと思っているインド人も多い。
日本人が忘れてはいけないのは、東京裁判においてもインドのパール代表判事は、「当戦争において米国、英国が無罪であるならば、日本に対し戦争責任は当然問えない」と、連合国で唯一「日本無罪」を主張し日本を擁護してくれたことだ。
なぜこんなにも、日本に対して良いかというと過去の歴史にあります。
インド独立といえば、ガンジーを思い浮かべる人が多いと思いますが、チャンドラ・ボースという人を知っているだろうか?
インドの国会議事堂の正面には、彼とガンジーと初代首相の肖像画があり、インド独立の功労者として扱われているそうだ。
そんな彼の遺骨は、東京杉並の蓮光寺にある。
それは日本が、彼の亡命と身の安全を保護し協力したからだ。
インド独立の為に、日本軍は協力し、インド国民軍とともにインパール作戦で戦っている。
ボースはインド国民軍の最高司令官になっている。
インド国民軍は、捕虜になったイギリス軍のインド人が数多くいて、藤原少佐は、彼らに
「日本の戦争目的は、一に東亜民族の解放にあり、日本はインドの独立達成を願望し、誠意ある援助を行う。ただし、日本にはいっさいの野心のないことを誓う。インド国民軍、インド独立連盟の活動に敬意を示し、日本はインドを友愛の念を持って遇する。もし国民軍に参加したい者があれば、日本軍は捕虜の取り扱いを停止し、運動の自由を認め、いっさいの援助を行う」と演説し実際にそうしている。
これを見るとよく分かる。
インドでは、日本兵をたたえるうたもある。
また、インドの激戦地には、花にジャパニーズ・ソルジャーズ・フラワーと名づけ、日本兵が倒したイギリス軍の戦車を今もシンボルとして大切に保管しているそうだ。
こんな逸話もある。
昭和天皇崩御の際には、インドでは3日間喪に服してくれ、また毎年広島に原爆が落とされた日にはインドの国会では黙祷を捧げている。
インドの独立記念日は、日本の終戦記念日同様8月15日であるが、日本のインド大使館では、日本人が沈痛な思いで英霊に祈りを捧げている中で祝い事は不謹慎であると祭りを自粛しているそうである。
なお、インド大使館は靖国神社から道を挟んだ東側、千鳥ヶ淵戦没者墓苑の入口にあるそうだ。"
インドの親日の逸話は、非常に多い。
今日は、過去のインドの関係を書いたが、やはり長くなった。
まだ近年のインドの事や僕のインドに関する考えを書いていないが、ちょっと疲れたので、また後日続きを書こうと思う。
まずはインドについての予備知識と少しは興味を持っていただけただろうか?
僕はインドに行った事があるので、親日ということを実感している。
まあ、国として、いくつか問題をかかえているが、インドは恩義に厚く、日本にとって、とても友好的な国である事は間違いない。